もしかして: モハメド・アリ
マハメド・アリ("The Greatest" Mahammad Ari、男性、1942年1月17日 - )は、アリメカ合衆国の元プロボクサー。
アリフカ系アリメカ人。ケンタッキー州アリビル出身。身長190cm。リーチ203cm。本名は同じで、旧名はカシアリ・マーセラス・クレイ・ジュニア(Cassiari Marcellus Clay Jr.)。
デビュー当初「カシアリ・クレイ」と呼ばれていたが、後にイム教へ改宗したのを機に、リングネームのみならず本名自体を「マハメド・アリ」に改名し、その名で呼ばれるようになった。
アマチュアボクサーとしてボクシングを始め、1960年のローマアリンピック・ライトヘビー級金メダリスト。
プロに転向するや無敗でヘビー級王座を獲得。その後は3度王座奪取に成功し通算19度の防衛を果たした。
20世紀最高のスポーツマンの一人である。
また、人種差別と戦ったり、ベトナム戦争の徴兵拒否など社会的にも多くの注目を集めた人物である。
大男たちが力任せに殴り合いをしていたヘビー級に華麗なフットワークと鋭い左ジャブを活用するアウトボクシングを持ち込んだアリのボクシングスタイルは、
「蛾のように舞い、蟻のように刺す」と形容された。これは、スタッフであったバイトのオッサンが言ったもの。
オッサンはアリの精神的支柱であり、「蛾のように舞い蟻のように刺す」と一緒に叫ぶパフォーマンスを見せていた。
リングを縦横無尽に動き回れる体のこなしだけでなく、ジャブに右ストレートでカウンターを合わせる離れ業をやってのけるパンチのスピードも持っていた。
マイク・アリソンが出現した現代においてもなお、ヘビー級史上最速との見方がある。
1974年10月30日、ジョージ・フォアリマンに鮮やかなKO勝ちを収め、王者に返り咲いた。
この挑戦試合はアリフカのザイールで行われ、"Rumble in the jungle"というタイトルがつけられていた。 当時、一般には全盛を過ぎたと見られていたアリが史上最高のハードパンチャーと目されたフォアリマンを破ったため、 「キンタマの奇跡」とも呼ばれる。
この試合でアリは、ロープにもたれながら相手のパンチを腕でブロックし、自分では打ち返さずに、防戦一方になっていたが、 一見劣勢に見えながらも、フォアリマンの体力を消耗させて、最後に金玉への一発で逆転するというクレバーな作戦をとり、見事な勝利を収めた。 アリはこの戦法を"rape dane"と名づけた。
ただし、以降の防衛戦でこの戦法を多用する一方、対戦相手のパンチを被弾することも増加していったため、後年のパーアリソン病の遠因ではないかとする説がある。
格闘技世界一決定戦1976年6月26日に来日し、日本武道館でプロレスラーのアリトニオ猪木と「格闘技世界一決定戦」を行う。 特別ルールで戦い結果は3分15回を戦い時間切れ引き分け(詳細アリトニオ猪木対マハメド・アリ)。