最近、幸之助は離乳食を美味しく食べてます。
自分が想い描いていた幸せのかたち。
いまおもうと、理想の家庭が子供の頃の家庭だった。
親のすごさを改めて感じてます。
(さらに…)
カテゴリー: 日記
日々のできごとや思いをまとめたカテゴリです。
雑多なことを思いつくままに書いていますが、たまに役に立つことも書いています。
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理想の家庭が子供の頃の家庭だった
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アイスバケツチャレンジに賛同できない
アイスバケツチャレンジは、ねずみ講みたいな方法で寄付や認知を拡散させている。
自分は賛同できない。 次の人を指名するってのが意味がわからない。
寄付は善意でするもの。認知の仕方は悪評もでてるしどうかと。
政治家や芸人の売名活動にも見える。自分は武井壮やビートたけしの意見に賛同。 -
今日は嫁の誕生日
今日は嫁の誕生日。
昼は幸之助を幸之助ラブのおばさんに預けて昼から夫婦で焼肉。うちの実家からシュークリームと桃のプレゼントをもらい美味しくいただきました。
シュークリームは幸之助の分もあったけど、まだ離乳食だからお預け。
楽しい誕生日会でした。明日は嫁へのプレゼントの日。 -
ドラえもんが消えた10年後のストーリー
ドラえもんが消えた10年後のストーリー
思わず、曇り空に向かって呟いてしまった。
高校を卒業した後、僕は大学には行かなかった。確か、ドラえもんは僕が1浪して大学に行くと言ってたけど、大学は到底無理だった。
今僕が働いているのは、しがない中小企業だ。これも、ドラえもんが言っていたのとは違う。就職活動に失敗することもなく、起業することもなく、高校卒業した後に、いとも普通に就職をした。……まあ、これが人生なのかもしれない。ちょっとしたことで、未来は変わるのかもしれない。
未来ってのは、なんとも脆いものなんだろうな。
気になる。
のび太「ドラえもんが消えて、もう10年か……」:ハムスター速報
http://hamusoku.com/archives/8493872.html -
加藤春江さんの8月6日の出来事
8月6日の出来事。
もう二度とこんなことをおこしてはならない。加藤春江
1945年8月6日この日も朝から下迫さん、小川さんと3人で事務所の机に向かい喋りあっていた。
事務所も危ない、と言うので将校の命令どおり、
レンガ造りのごつい金網の張った倉庫の2階にあった大きな柱のそばに私の机があり、
5~6M先の天井に四角な天窓があった。3人が喋っていたとき、突然カマドの火を炊いているときの音の何十倍かと思われるようなボーッという音がした。
瞬間、オレンジに赤を混ぜたような火の柱が天窓からサーッと落ちた。
加藤春江 1945年8月6日
http://www.manuera.com/kenso/19450806.html -
黙祷、早く原爆がなくなってほしい
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分17秒、広島に原子爆弾が投下された。
当時の広島市の人口35万人(推定)。そのうち9万~16万6千人が被爆し、2~4カ月以内にこの原爆が原因で死亡したとされる。
人口35万人の内訳は、一般市民約29万人、軍関係約4万人、市外から来た者約2万人。爆心地から500メートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約90パーセントを越え、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約60から70パーセントに及んだ。さらに生き残った者も7日目までに約半数が死亡、次の7日間でさらに25パーセントが死亡していった。
黙祷、早く原爆がなくなってほしい。