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ゾウの密猟防止に密猟者を殺すタンザニアの過激な方針

貧困社会の問題か。

「ゾウの密猟が止まらないので、密猟者を殺すことにする」タンザニアの過激な方針に賛否両論の声:らばQ
http://labaq.com/archives/51806017.html

海外掲示板では賛否両論の意見。
その中でも、特別気になった意見があった。

気になった意見は下に。

自分はフリーの人権レポーターでタンザニアに住み、この問題のいろんな特徴などについて調べたりしている。地域の人々の考察を知るためにインタビューをしている。

ここにいる人々は同じ考えを持っていない。

自分としては断固として、極刑はどんな状況であっても反対という立場ではある。ちゃんとした裁判の手順を踏むことを信条として、それが理想としている。しかしながらタンザニアには司法という過程がない。ここではしっかり調査して解決するより、身代わりの誰かを逮捕しておく方が人々にとって手がかからない。むしろ自然に解決してくれるほうが良いと思っている。

タンザニアも例外ではないが、アフリカのほとんどが小さな盗み程度でも、集団リンチを受け殴り殺されている。例えば自分が通りで誰かを指さして「Mwizi!」(泥棒を意味する)と叫べば、その誰かはその現場で殺される。そして何も盗んでいないことがわかると、その場で自分も嘘をついた罪で殺される。それがここのやり方なのだ。

それとは違う方向性にできないか、小さな影響を与えようとするのだが、ここでは個人ではなく集団がとても重要なのだ。なので1人が集団に反して境界線を越えたなら、ほぼ終わりを意味している。

それからここにいる人々のほとんどは、サファリ観光が唯一の収入源である。なのでここの住民にとって、密猟者は生活の糧を盗んでいく人間とみなしていることが、深く考えなくても想像つく。

ゾウの減少=サファリの減少=収入の減少=どうやって食べていくんだ? となる。
彼らは健康保険も警察もない。あるとすれば武器を持った泥棒だ。社会福祉や安全保障なんてものは概念すら存在しない。ほとんどの子供が小学校以降の学校にも行かない。両親の手伝いをしないといけないからだ。

砂からどうやって何を絞り出すかという以上の理解能力がない。快適にiPadを叩いている人々には、まず本当の死に物狂いや苦難が一体何であるかという概念がない。

快適にiPadを叩いている人々には、まず本当の死に物狂いや苦難が一体何であるかという概念がない。

貧困社会の存在を知ることは大事なことだけど、知ったところで、自分たちは本当の貧困社会のつらさを理解することはできない。

正論だけでは語れない。

「生きるために」という言葉が出てくる以上、ゾウの密猟を行う犯罪者側も、
生活を脅かすものを殺す側もどちらも必死であることに変わりはない。

「殺す」ということはいかなる場合であっても過激だと考える自分。
おそらくそれは正常な思考だと思う。正常な思考を持つにはある程度の生活レベルが必要。

アフリカへの支援が不正な形で消耗されているという話も聞く。

簡単には解決できない問題。目をそらすことは簡単。
自分が何かできるかといわれると何もできない。

でも、完全に理解はできなくても、社会の現実を知り、現実を伝え、
貧困社会のつらさを少しでも理解して、何か協力したい。

About arison

大都会岡山の南部にある玉野市生まれ。 大都会岡山のIT会社(目標は大都会No.1)でコンピュータとお客を相手に日夜格闘中。 関東出張中はグルメブログ。 基本的に遊び人のおっさん。 ライフハックとガンダム好き。ギガフロート玉野を浸透中。

09. 10月 2013 by arison
Categories: 日記 | Tags: | Leave a comment

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