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【訃報】キューバ革命の英雄フィデル・カストロ氏死去

フィデル・カストロ氏、90歳で死去 キューバ革命の英雄で親日家でもあったカストロ氏。
ドナルド・トランプはカストロ氏を批難。
オバマ大統領がカストロ氏と築いた友好の橋を壊すのは非常に残念。

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フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルスは、キューバの政治家、革命家、軍人、弁護士。
社会主義者で、1959年のキューバ革命でアメリカ合衆国の事実上の傀儡政権であったフルヘンシオ・バティスタ政権を武力で倒し、キューバを社会主義国家に変えた。
革命によって同国の最高指導者となり、首相に就任。

国営テレビによると

キューバのラウル・カストロ国家評議会議長は国営テレビで、「きょう、11月25日午後10時29分に、キューバ革命の最高司令官、フィデル・カストロが亡くなりました」と述べて、カストロ前国家評議会議長が死去したことを明らかにしました。そのうえで、「本人の希望により火葬される。あすの11月26日の朝に、キューバ革命の創始者に対して行われる葬儀の詳細を発表します」と述べました。
そして、最後にキューバ革命のスローガンである「常に勝利を目指して」と述べて、前議長の死を悼みました。

カストロ氏といえば、チェ・ゲバラの名もあわせて呼ばれることも多い。

チェ・ゲバラは本名、エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(Ernesto Rafael Guevara de la Serna、1928年6月14日 – 1967年10月9日)。
アルゼンチン生まれの政治家、革命家で、キューバのゲリラ指導者。

「チェ・ゲバラ」の呼び名で知られるが、「チェ」は主にアルゼンチンやウルグアイ、パラグアイで使われているスペイン語(リオプラテンセ・スペイン語をはじめとする諸方言)で
「やぁ」「おい」「お前(親しみを込めた)」「ダチ」といった砕けた呼び掛けの言葉であり、
ゲバラが初対面の相手にしばしば「チェ。エルネスト・ゲバラだ」と挨拶していた事から、キューバ人達が「チェ」の発音を面白がり付けたあだ名である。
ラテンアメリカではキューバ革命以降「チェ」もしくは「エル・チェ (El Che)」(「el」男性定冠詞単数形)といえば彼の事を指す。

軍人問い目のイメージの強いカストロ氏であるが、親日家のカストロ氏は2003年に原爆ドームを視察、慰霊碑に献花・黙祷している。
カストロ氏は軍服のイメージが強いけど、スーツを着用することもあった。
1996年に国内の公式行事では革命以来始めてのスーツ着用でハバナ市の革命宮殿で会談を行っている。
キューバは野球でも有名である。

フィデルは親日家として知られている。2003年に来日した際には、外国の要人としては珍しく原爆ドームを視察、慰霊碑に献花・黙祷して「人類の一人としてこの場所を訪れて慰霊する責務がある」とのコメントを残している。ちなみに、チェ・ゲバラも1959年に広島を訪れている。1989年の昭和天皇崩御の際には喪に服した。

1996年にキューバを訪問した創価学会の池田大作名誉会長・SGI(創価学会インタナショナル)会長との面会ではおよそ1時間にわたって会談し、革命以来初めてスーツ姿で公式行事に望んだ。その後、フィデルは病気療養中の2007年にSGI(創価学会インタナショナル)のキューバ国内での活動を公認している。

また、野球人として日本の野球に対して敬意を表している。2006年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝戦、日本と戦うことになったキューバだが、フィデルは試合前、キューバ選手団に「試合に“勝て”とは言っていない。“ベストを尽くせ”と言っている」という名言を残す。そして試合当日、キューバは善戦したが、結局は日本に敗れ、日本が優勝、キューバは準優勝という結果に終わったが、フィデルはキューバ選手団を空港まで出迎え、その後に首都ハバナで開かれた政府主催の式典で「金でも銀でもいいじゃないか!決勝に行けたことが素晴らしいんだ!」と自国選手を称えたうえで、「藤田宗一選手からホームランを打ったことは、素晴らしかった(要約)」「日本人選手の名前の読み方がよく分からない。マスコミに聞いてくれ(要約)」と積極的に日本人選手について発言している。
また、元日本野球連盟会長の山本英一郎と大変親しく、常々「彼は私の大切な親友だ」と公言していた。山本の死の際には、自ら弔電を打って哀悼の意を表した。

アメリカのオバマ大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長は2015年4月11日に米州首脳会議が行われているパナマで、1961年の国交断絶以来初となる首脳会談を行っている。

ロイターによると、首脳会談は1956年のアメリカのアイゼンハワー大統領とキューバ革命前の指導者バティスタ大統領との間で行われて以来59年ぶり。
両国の間で本格的な首脳級会談が行われたのは、キューバ革命後の1959年4月、ラウル・カストロ氏の兄でキューバ革命の指導者フィデル・カストロ首相(当時)とニクソン副大統領(当時)の会談以来となる。両国は61年に国交断絶した。

NHKではこんな記事が

キューバのカストロ前国家評議会議長が死去したことについて、キューバとの歴史的な国交回復に踏み切ったアメリカのオバマ大統領は哀悼の意を示す声明を発表しましたが、国交回復を批判してきたトランプ次期大統領は、「残虐な独裁者が死去した。キューバ国民が自由を得られるよう全力をあげる」とする声明を発表し、対照的な反応を見せています。

カストロ前国家評議会議長の死去を受けて

オバマ大統領は26日声明を発表し、哀悼の意を示したうえで、
「キューバの国と国民の針路を変えたカストロ氏の死去は、さまざまな思いで受け止められているはずだ。国民に及ぼしたとてつもない影響は歴史が評価するだろう」
としています。
そのうえで
「アメリカとキューバは60年近く対立してきたが、私の政権は両国が協力できる未来に向けて取り組んできた。キューバの人たちは、アメリカに友人がいることを知ってほしい」
として、去年7月の両国の国交正常化を受け、関係改善の流れが続くことに期待を示しました。

一方、トランプ次期大統領も声明を発表し、
「60年近くにわたって自国民を迫害した残虐な独裁者が死去した。彼がもたらした悲劇は決して消えないが、トランプ政権はキューバの人たちが自由を得られるよう全力をあげる」
としています。

キューバとの平和への架け橋を築こうとしているオバマと、その架け橋を破壊するかのようなトランプ。
この対照的な2人を見て、アメリカの未来に不安を感じてしまった。

最後にキューバ革命のスローガン
チェ・ゲバラの銅像の下にある文字、
「Hasta la Victoria Siempre 常に勝利を目指して」。

このキューバ革命の英雄チェ・ゲバラとカストロの願いが、これからのキューバで実現してほしい。
キューバに幸あれ。

キューバのカストロ議長

About arison

大都会岡山の南部にある玉野市生まれ。 大都会岡山のIT会社(目標は大都会No.1)でコンピュータとお客を相手に日夜格闘中。 関東出張中はグルメブログ。 基本的に遊び人のおっさん。 ライフハックとガンダム好き。ギガフロート玉野を浸透中。

27. 11月 2016 by arison
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