靖国神社としょうけい館に行ってきました。どちらも九段下から行ける場所にあります。
ちょうど24時間テレビで武道館に行こうと思っていたのでそのついでに。
靖国神社は今は亡き祖父の友人たちが眠る場所でもある。
自分は祖父の友人たちの名前を知らないが、若くして運命をともにした青年たちがいたことは間違いない。
あくまで戦没者のために行こうかと。
靖国神社の近くにあった古めの店。靖国うどん(850円)というメニューがあった。
肉、しいたけ、わかめ、錦糸卵、かまぼこ、山菜と豪華なうどんであった。
古くからあるような店だ。麺は少し柔らかめ、うどんの汁もうまい。
靖国神社で、戦没者への回向を兼ねてお祈り。
ここでのやり方は知らないけど、自分なりのやり方で祈る。
戦没者や自決者の遺言を見た時、胸が痛くなりました。
自分より若い青年が命を落とす。時代が悪かったのか。
二度とこのような悲劇は起こしてはならない。
海軍の慰霊碑、慰霊碑には軍用犬、馬、鳩などの慰霊碑がありました。
靖国神社の中に場違いとも言える展示の建物がありました。
ただ、戦争の遺産として大事な展示だと思いました。無料部分のみ見学。
零戦の五二型。ちなみに零戦が制式採用された1940年(昭和15年)は皇紀2600年にあたり、下2桁が「00」であるため「零式」という名称になっている。
ここに展示されているのは復元されたものらしい。作成時に二台分の型番が振られており当時の工場の混乱振りが残っている。
もしかしたら、最初は2台作ろうと思ったが納期や材料不足で1台になったのでは?とも考えられる。
零戦の横には加農砲(カノン砲、キャノン砲)。
砲兵は一人、砲台は一台になろうとも戦い続けろというという教えがあったようだ。
砲身には無数の傷跡が残されていた 。
写真には少ししか写っていないけど蒸気機関車もありました。
少し時間があったので九段下辺りの名所を探していたら、しょうけい館があった。
日本の傷痍軍人に関する史料の収集・保存・展示を行っている。「戦傷病者史料館」とも。
建物内での撮影は禁止だったので、外側からの撮影のみ。
うちの爺さんは満州にて、銃創で指を失っていた。
ここには戦傷病者の検索サービスがあったので調べてみたが爺さんの名前はなかった。
本や資料が膨大にあったが、さすがに全部を見ることはできなかった。
1Fは義足になった戦傷病者や失明した戦傷病者の当時の写真やその後の人生が公開されていた。
いずれも家族の支えで生きてこれているとのことだった。
戦傷病者は、白衣の勇士と呼ばれ、戦後は優遇されたようだ。しかし、実際はどのように思われていただろうか。
身のまわりのものが苦労することを予想することは簡単なことである。
2Fは展示の中に、実際の野戦病院のジオラマがあった。一人ではいるのは正直怖かった。
目をふさぎたくなるような内容だった。しかし、これは忘れてはならない。事実だ。
麻酔なしで行われる弾丸の取り出し。神経を刺激され無意識に動く体。押さえつける衛生兵。
傷が消毒できず蛆虫がわく。きれいな水がなく泥水を飲みウイルス性の赤痢になる。体は動かない。
一日に一度来るかどうかの食事と医師。洗われることのない重湯のみの食器。
蛆虫を取ってくれと頼むと、「蛆虫は腐っている肉を食べてくれるからほっといたほうがよい」といわれたなど。
普通の兵士でさえ栄養失調。 こんな状態で戦えというほうがおかしい。
うちの爺さんは、地雷を持って戦車に突撃する任務だったと聞いたことがある。
幸いにも戦車が来なかったから、今の自分がいる。赤飯のような血まみれのご飯。
同じようなことがこの資料館に書かれていた。
爺さんが戦争で人を殺したかどうかは結局聞けずじまいだった。
殺さなければ殺される。そんな状況で道徳や倫理を語っても殺されるだけだ。
それならば、そのような状況を起こさないことが大事だ。
自分は戦争や原爆が大嫌いだ。人の命を軽視してはいけない。
いくら時代がたっても忘れてはいけない事実がある。